2009年8月10日
「FCIアジアインターナショナルドッグショー2009」のミニチュア・シュナウザーの
審査について
2009年4月4日(土)、5日(日)の2日間、東京ビッグサイトにて、「FCIアジアインターナショナルドッグショー2009」が行われました。私は5日に行われたミニチュア・シュナウザーの審査を見に行ってきました。
このことについて、書こう、書こうと思っていながらあっとゆう間に4ヶ月が過ぎてしまいました。
ドッグショーの審査はその犬種のスタンダード(その犬種の有るべき姿や能力、気質などを文章で規定したもので、繁殖で目指すべき指針となるべきもの)に基づいて行われるのは当然ですが、スタンダードを遵守しながらも、ジャッジ(審査員)によって好みのタイプが有り、僅差であればその好みのタイプが選ばれてしまいます。よくこのことで、あのジャッジは犬が見えていないとか言われる方が居られますが、私はこの事はけっして悪い事とは思いません。
ミニチュア・シュナウザーで見て行きますと、私が飼い出した頃と今とでは、たった30年の間に大きくタイプが変わってきたと思います。勿論スタンダードが変わったわけではなく、それだけスタンダードという物が良い意味での柔軟性と多様な可能性を含んでいる内容になっているからだと思います。
この事からしてもスタンダードを厳守しながらも、許容される範囲内でその解釈で生じるジャッジの好みのタイプは、その犬種にとって、スタンダードに基づいた新しい可能性を生み出すきっかけになるように私は思っています。
さて、5日に行われたミニチュア・シュナウザーの審査は、残念ながらそういったものでは無かったように私は感じました。ジャッジは欧州の方で、見た目はまだ30代後半の方のように思われました。
このジャッジの審査の中で一番印象的だったのは、明らかにシャイ(臆病)なミニチュア・シュナウザーを上位に据えていく事が2、3回ほど有り大いに疑問を感じました。
ただし、その犬が、他の犬に比べて圧倒的に優れた物を持っているのであればまだ理解できますが、残念ですがどう見てもその犬たちは優れたミニチュア・シュナウザーとは思えませんでした。勿論他の犬種でもシャイは重要な欠点と思いますが、ミニチュア・シュナウザーに於いては、シャイであることは、この犬種の魅力とする凛として首上げよく、尾を高く持ち上げたポーズをとれないとゆうことに繋がり、ハンドラーの補助を受けなければ、ミニチュア・シュナウザーらしいポーズをとれないとゆうことになります。ドッグショーがその犬種の改良と繁殖のための指針を目指すのであれば、シャイは遺伝することからも、こうした犬を上位に据えて行く審査は、基本中の基本を押さえていないことのように思いました。
審査の中で私がリンクの外から見ている限り、骨格構成、歩様など素晴らしいと思うミニチュア・シュナウザーが数頭いましたが、残念ですがこれらの犬は、このジャッジからは正当な評価を受けていませんでした。
私がここでお伝えしたかったのは、今回のドックショーで良い結果を残されたミニチュア・シュナウザーを否定する物ではない事をご理解ください。勿論良い成績を残された中には素晴らしいミニチュア・シュナウザーもいたことは事実だと思います。しかし、審査の中で素晴らしいミニチュア・シュナウザーが簡単に外されて行くのは大きな問題だと思っています。なぜなら30年前の私たちのように、スタッンダードをまだ良く理解できておらず、これからミニチュア・シュナウザーの素晴らしい世界に脚を踏み入れようとしている方たちにとって、今回のドッグショーのミニチュア・シュナウザーの審査は、混乱と勘違いをもたらす可能性を多いに秘めていると思われたからです。
私の尊敬する先輩の方々から「良い犬を見せてもらって、触らせてもらって、できればその犬をひかせてもらうことが、一番の勉強になる。」と言われ、今まで何度かそう言ったチャンスに恵まれてきました。今までに体験した素晴らしいチャンピオン犬たちは、リードを持たせていただくと手に伝わる歩行のリズムからして、なるほどと思わせる物が有り、その感触は忘れる事は有りません。そうはいってもこうした犬に会うチャンスの少ない方達にとって、ドッグショーは多いに勉強になる貴重な場になるわけです。
どの犬種をお飼いになる時も同じですが、その犬種の特徴である、体型、毛質、気質などを十分に兼ね備えていないと、いくら血統書が付いていても、両親がチャンピオン犬でも、有名なブリーダーのところで生まれた犬でも、飼い主にとっては、その犬種の本質の魅力を体験できない事と同じです。そうした事からも少し辛口になってしまいましたが、ドッグショーの審査は、非常に責任の重い仕事と思います。特にアジア最大といわれている「FCIアジアインターナショナルドッグショー2009」のミニチュア・シュナウザーの審査は、こうしたことからも、私にとってはとても残念なものとして心に残りました。
|